ピアノ教室なのになぜ「自発コミュニケーション」が大事?

目次
PECSを実践しようと思ったきっかけ
「発達支援ピアノコース」を開講させていただいてから5年。
私がPECSと出会ったのは、とある発達関係の講座を受けた時でした。
(PECS=絵カード交換式コミュニケーションシステム・アメリカで開発、考案された療育プログラムです)
2023年、TEACCHプログラムに関するオンラインセミナーを受講した時、門先生のお話を聞くことができました。
いわゆる発達特性の子が起こす「問題行動」は「問題提起行動である」と言う門先生のお言葉に、とても頷けました。この時に、PECSのことを紹介(ワークショップではありません)されていて、私は真っ先に「あの子」を思い出しました。
私が、今でも「戻ってきてほしい」と思っている男の子のことでした。
発達支援コースの最初の生徒さんは、重度自閉症のお子さんで、発語がなく、模倣もできませんでした。
私はピアノを通じて自発語が出てきたらいいと考え、いわゆる「ひらがな」を教えてみたり、なぞらせてみたりと試行錯誤していましたが、一向に発語は出ません。
1年ほど見させていただきましたが、残念ながら、1年経ってもレッスンの変化はありませんでした。
そのお子さんのお母さまには「もう少し言葉のお教室に行かれたほうがいいかもしれません」と、私では力不足であることを正直にお伝えしました。
この時にPECSを知っていたら、私はもう少し、そのお子さんの「自発コミュニケーション」を促してあげることができたのに、と、今でも悔やまれます。
「発語」はたまたま私たちが日常的に「使える」だけ
私たちは普段、「言語」を使って人とコミュニケーションを取っています。
これは、私たちが「共同注意」ができて、「二項関係」が獲得できて、「三項関係」が獲得できた上で、「模倣」ができるために、たまたま「言語」も模倣することができただけにすぎません。
そもそも「発声の機能」に何か医学的な問題や障害があって、「発声」できない人であっても、「共同注意」「二項関係」「三項関係」ができていれば、発語は出なくても大人の言葉は理解ができます。
ところが、ここに弱さがある発達特性の子は、そもそもの「模倣」ができないために、「言語も真似をすることができない」状態で、「大人の言葉も理解ができない」状態なのです。
発語のないお子さんに、私たち大人はついつい「話しなさい」と促してしまうと思います。
現に、私の最初の生徒さんをお預かりした時にも、私もそれが一番だと思っていました。
「絶対に話せた方が良い」
どこでどう「絶対に良い」と思ったのかわかりませんが、その男の子に対しても、「話せた方がいい」「話せるようになるために何ができるんだろう」と思っていました。
そして、「話せないかもしれない」と思った時に、私は諦めてしまったのです。
もっと早く、PECSに出会いたかったと思います。
問題行動とは?
「問題行動」とは何でしょう。
ググってみますと
「社会的な規範や規則、常識、マナーなどに照らして、好ましくない、または不適切とみなされる行動
と、Google AIさんは回答されました。
確かに好ましい行動と好ましくない行動があるのは事実です。ですが、そもそも「好ましい行動とは何か」を大人が教えたでしょうか?
「好ましい行動とはこれですよ」と具体的に誰かに指示をしたことがあるでしょうか。
少なくとも私は「世間の良し悪し」みたいなものを誰からも教わってこなかった気がいたします。
私の親は、いわゆる「放置系」の子育てで、私自身が何かをしてもしなくても、あまり関わってもらえなかった(仕事で忙しかったのもある)と言う記憶の方が強いです。
私自身は、もっともっと「世間の良し悪し」を教えてもらいたかったなと思っているのですが、親はおそらく「そんなのいつか誰かが教えるでしょ」とか「自分で身についていくものでしょ」と思っていたのでしょう。
しかし、PECSの学びの中で、とても印象に残っているコンサルの先生の言葉があります。それは、
コミュニケーションは誰かに教えてもらわなければ身につかないもの
と言う言葉です。
そう、誰かに教えてもらわなければ身につかないのです。
それは、私たち大人も同じくで、おそらく「私たちは誰からも教わってきていない」でしょう。
そしてまた、私たちの親世代も、そのまた親の世代も、おそらく誰からも教わってきていないだろうと思うのです。
さぁここで大変です。
私は自分の子どもに対して、「人との関わり方」を教えてきただろうか?
いいえ、教えていません。だってPECSを学ぶまでは私も「教わってきていない」のですから、「教えることなどできるはずがありません。」
我が子はもう高校生です。今から間に合うの?と、とってもとっても焦りました。
しかし、今からでも全然遅くはありませんでした。
焦り始めて、我が家でも我が子に「自発コミュニケーション」を促すようにPECSを実践し始めたのが、つい半年ほど前です。
(我が子は発語はありますので、絵カードは使わずに、言語でコミュニケーション支援システムを実践しました)
我が子は、だんだんと「自発」ができるようになってきています。最近、ようやく私の中でも「焦り」がなくなりました。
何歳になっても、遅くはないです。子育てに手遅れはないのです。
そしてもう一つ、PECSについて誤解をされている方が多いと思うので、ここだけは補足したいところです。
PECSとは「絵カード交換式コミュニケーションシステム」の略ですが、ここで「絵カード」を使うことに抵抗がある方がいらっしゃいます。
なぜ抵抗があるのか?「絵カード」なんて何だか幼稚みたい?と思いますか?
子どものやることでしょ・・・と思われますか?
この歳になったらもう遅いから絵カードなんて使わない、と思われますか??
いえいえ、違います。PECSのコンサルの先生は、こうおっしゃっています。
「絵カードは語彙です」
発語の代わりに、自分の思いを伝える手段なんです。つまり、「言語」と同じです。
私たちが普段、当たり前に使っている「言語」。
これは、たまたま「模倣」ができる私たちが、「言語を真似して」身につけることができただけ。
「模倣」に弱さがある人は、「言語」を「真似」することができません。
なので、代替案が必要です。
それは、手話でもマカトンサインでもいいです。しかし、どちらも「相手が覚えなければ伝わらない手段」になります。
絵カードは、誰が見ても一目で伝わります。おそらく、世界中の人とコミュニケーションが取れるでしょう。
発語が取れない人にとっては、「言語=絵カード」となるのです。
これは、メガネが欠かせない人のためのメガネと同じです。
「幼稚だからうちの子には絵カードは使わせない」=「目が悪いけどメガネはかけさせない」と言っているのと同じことなのです。
問題行動は問題提起行動である
門先生の言葉をそっくりそのままお借りします。
上記のように、発語が取れないお子さんがいたとします。発語がなく、何年も過ごしていたらどうなるか?
誰でも自分の思いが伝わらなかったり、伝えても理解してもらえなかったりしたら、ちょっと残念な気持ちになると思います。
その残念な思いが、常に、いつも、どこでも、どんな状態でも、何年も、何十年も、続いている状態です。
どうなるでしょうか?
中には、自分を閉ざして引きこもってしまったり、あるいは癇癪を起こしたり、時には問題行動となって自傷行為や他害行動を起こしてしまうことも少なくありません。(全員がそうなるわけではありません)
つまり、問題行動は「心の声」なのです。
今、目の前に「伝えられない」と言う「問題」があるのだと「提起」している状態です。
今、目の前に「うまく物事を進めることができない」という「問題」があることを、私たちに教えてくれているのです。
この「提起しているのだ」ということに、周りの大人がいち早く気づいてあげることができて、本人の思いを「伝えよう」とする行動を促してあげることで、この「問題行動」は必ず減っていきます。
ここにはエビデンスがあって、確実に人と関われるようになることをペクスでは「教えて」います。
そう、自発コミュニケーションは「教えるもの」です。
「教えてあげなければ、人と関わることは出来ない」のです。
私たちの「当たり前」は誰にでも「当たり前」ではない
何度も書きますが、私たちは「言語を話せて当たり前」です。
これは、幼少期からの積み重ねもありますが、人との関わりの中で学んできたことです。
人と関わることが苦手という人は、「人との関わり方」を教わってきていないのではないかと思います。
私たちが「人と関わって当たり前」と思っている行動も、人にとっては「当たり前」ではない可能性もあります。
私は音楽を専門にしてきたただの1人のピアノ講師です。
ですが、これまでの多くの方々との出会いと、支援のおかげで、PECSと言う支援システムに出会うことができました。
代替案は、たくさんあります。私たちが「当たり前」に使っている「言語」の代替案を、多くの方々に知っていただきたいと思います。
PECS®️はピラミッド教育コンサルタントの登録商標です。
PECS®️を適切に実践する方法を学ぶにはピラミッド教育コンサルタントオブジャパン(株)
https://pecs-japan.com/ をご参照ください。