レッスン風景,  日々のつぶやき

音の長さは“時間”だけじゃない──身体で感じるリズムと音価の世界

 
 

「音価」はわかるのに手拍子ができない?

 
今日は「音価」についての話なのですが、先日レッスンをしていて、ふと気づいたことがあります。
「音価に気をつけて弾けるし、歌えているけど、手拍子ができない」
という生徒さん。
実は案外多かったりします。
 
先日の記事で、音の長さは「時間的な概念が必要」と書きましたが、その子は時間感覚がわからないわけではなく、「あと5分だよ」などというと片付け始めることもできたりします。
ということは、単に「時間概念が付いたら音価もわかる」というものではなさそです。
これはどういうことなのでしょう。
 
 

時間感覚は“未来を見通す力”

 
時間感覚は「あと5分だからその間に何ができるか」という想像が自分の中でできる、ということのような気がします。
もちろんそれだけではないですが、「あと5分」がやがて「あと10分」になり、「30分後」「1時間後」「3時間後」と増えていって、やがて「1年先にはこれができるようになっていたいから、今これをやる」というような「先の見通し」ができるようになるのだと思います。
 
時間感覚は思考的で、先の計画につながる力、な気がします。
 
 

音価感覚は“今この瞬間の身体の時間”

 
ところが、リズムを手拍子で打つ、というのは、そこまで先々の話ではなく、「今流れてるこの時間空間の中で刻むもの」です。
この「刻み」は、「1秒単位」ではありません。1秒よりも速い曲もあれば、もっと遅い曲もあります。
これらを「今この場で感じる」ためには、「自分の鼓動のように感じるもの」なのかなと思います。
 
ある音楽が流れていて、「この曲何拍子?」と聞かれることがあります。
複雑に「拍のアタマ」がずれている曲は、どこがフレーズの途切れなのか、わかりにくかったりしますよね。
こんな時にも、自分の中に流れている「鼓動のような拍感」と、流れてくる曲の拍を照らし合わせて、どこが合致するかなと探ります。
これも、「自分の中に流れてる鼓動のような拍感」がないと、見つけられなかったりします。
 
 

指先の動きだけでは足りない理由

 
「リズム(=音価)に気をつけて弾いてね」と言って、弾いてもらった時、きちんと音を伸ばしたり短くしたりすることができる子がいたとします。
本来は先に手拍子をしてから弾いてもらうのですが、先日この順番が逆になってしまって、弾いてもらった後で手拍子してみて、と言ってみました。
すると、なぜかうまくできないのです。
もしかして、自分の中に流れている「鼓動のような拍感」が感じられていなかったのかもしれません。
 
この「鼓動」を感じるために、やはり「指先だけではなく身体を使ったリトミック的な運動」は効果がある気がします。
そう、手拍子は、自分の身体を使うことになります。 
 
身体でしっかりと「拍」を感じるために、手拍子は必要なのだと思います。
たとえ「ターン、タンタン」のように、言葉で言えていたり、ちゃんと伸ばして弾けていたりしても、それは身体を大きく動かしているというわけではなく…
 
もちろん弾いている時は指を動かしてはいるのですが、指先だけで「身体を動かしました!」というにはちょっと遠いのかなという気がします。
 
 

リトミック的な動きが音価理解を育てる

 
時間感覚と音価感覚は似ているようでいて、実はまったく別の力です。
「あと5分」を理解する時間感覚は、未来を見通すための“思考の時間”。
一方で、手拍子でリズムを刻む音価感覚は、“今この瞬間の身体の時間”を感じ取る力です。
 
指先だけで音を伸ばしたり短くしたりできても、身体全体で拍を感じている、とは限りません。
だからこそ、手拍子や歩く・揺れるといったリトミック的な動きが、音価の理解をぐっと深めていきます。
 
音の長さを「知る」だけでなく、「身体で感じる」こと。
 
その積み重ねが、音楽の時間を自分の中に育てていくのだと思います。
 
 


 
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