子どもの言葉は「受容」したい

ついつい「教えて」しまう
私たちピアノ講師の仕事は、一応、基本的に「ピアノを教える」ことです。
ごもっとも、なことなのですが、私自身は「教える」という言葉があまり好きではありません。
レッスンは、わりと毎回きちんと計画を立てます。
今日はテキストのどこまで行きたいな…そのためにはこれを教えなきゃ…あ、新しい要素がでてきた、これはどこで教えよう…どうやって教えよう…などなど。
そう、ここでいう、「新しい要素」が出てきた時には、その要素を説明しなくてはいけないので、基本的に「教える」ことになります。
例えばピアノ初心者さんが、初めて「8分音符」が出てきた時には、「8分音符ってこういうことだよ」というのを教えてあげないと、弾けなかったりしますよね。
そういう時には「教える」形にはなるのですが、
しかし、これって実際には生徒さんのことをよく知らないと、教えられなかったりします。
だってそもそも数字を知らなかったら「8分音符だよ」なんて言ったってわからないわけですし、
「4分音符が1個だったら8分音符はその半分だよ」なんて言ったって算数?や割り算?をしらなければ生徒さんには難しいわけですよね。
なので、その生徒さんが「何を知っていて、どこまでわかっているのか」をリサーチしなければ、教えられないわけです。
つまり、最初に講師としてやることは「生徒さんがどこまで知識があるのかを教えていただくこと」なんですね。
「教えよう教えよう」としたって、生徒さんからまずは私たちが学ばせていただかないと伝わりっこないんです。
なので、「教える」ではなく「教えていただく」ものだと思っています。
教えているとついつい「間違い探し」をしてしまう
前もってレッスンの計画を立てて、「教えよう」とばかりしてしまうとうまくいかない。これはなぜかというと、…生徒さんがどこまで知っているか分からずに進めようとしてしまうと、生徒さんが理解できてないことにも気付けないことが多いんですね。
しかも、計画を立てて「今日はここまでやる!」と決めてしまっていると尚更なんです。
「ここまでやる」という、自分だけの目標達成のために、そこを目指そうとしてしまう。
ところが生徒さんはちゃんと理解できてないわけです。で、先生は「説明したから」そこをやらせようとする。すると、曖昧になったりうまくできなかったりする。
でも先生は「とりあえず説明したから」できると思ってしまい、結果、うまくできなかったりすると、「できなかった」となるわけです。
となると「できなかったところ探し」をしているのと同じになります。
そのため、「できてないからもう1回」といってやらせるわけですね。
生徒さんが「芯から理解できてない」かもしれないのに、それ以上進めると、生徒さんからするとわからないまま進められた状態なため、不安な状態になるんです。
「教えよう」とばかりしていると、こういう結果になることが多い…私も気をつけなければいけないところです。
生徒さんが答えた「応え」は「受容」したい
もう1つ、レッスンがうまくいかない時の例として、
こちらが投げかけた質問に対して、生徒さんがもしも間違った応えを言ってしまった場合。
これも、職業病で申し訳ないのですが、すぐに「違うよ」と言ってしまうんですね。
「教える仕事」なので仕方ないとは思うのですが、これ、気をつけないと、生徒さんに「間違いを指摘した瞬間、大癇癪を起こす」なんていうパターンをよく耳にします。
算数の問題であれば、正しい答えを教えるのは良いのかもしれません。しかし、理由もなくいきなり「否定」されたら誰でもショックなのではないでしょうか。
なので、算数であっても、「なぜそれが応えになったのか、なぜ正しい答えを導けなかったのか」を、生徒さん自身が自分でわからなければ、「正しい答え」だけを教えても理解できたことにはなりませんね。
ですので、私はもし間違えた応えを言った場合は「そうだね、なんでそう思ったの?」と質問をするようにしています。
ここで大事なのが、「なんでそう思ったの?」ではなく、「そうだね」なんですよ。
子どもだって、子どもなりに、ちゃんと考えて?(多分)その「応え」を出したのですよね。
その「頑張った経過」を、受け止めてあげるんです。それが、「受容」だと思います。
この一言があるかないかで、生徒さんは「なんでそう思ったのか」と聞かれた質問に対して、考えをまとめようと思考を巡らせてくれるんだと思います。
「教える」ということは「教えていただくこと」。
ついつい、教えようとしてしまうと、生徒さんの感性を見逃してしまうこともあります。
子どもは素晴らしい才能をたくさんもっています。それらを十分引き出してあげられるよう、レッスンしたいものですね。
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