言葉にフタをしてしまう理由「日本人はアイ・メッセージを使えない?」

その「遠慮」はどこからきたんだろう?
ピアノ講師という仕事をしていますと、あまり大きな会議とか懇親会とか、それこそ飲み会とかに参加する機会はほとんどないのですが。
最近、仕事の関係でそういった会議や懇親会などに参加する機会が増えてきまして、つい先日も出かけてきました。(飲み会ではありません笑)
人との関わりの中で「難しいな」と思うことって、やはり「コミュニケーション」でしょうか。
特に日本人は「遠慮がち」だったり、「右倣え」な民族性があったりしますので、人とおおっぴらに話すことが苦手な人も多い気がします。
もちろんこれらの「遠慮」や「右倣え」はポジティブに考えると「相手の気持ちを想像して相手に配慮している」ことにもなるので、まったくそれが悪いというわけではないと思います。
しかし、本当は自分の意見を言いたいのに、つい遠慮してしまった、ということもないでしょうか。
実は先日の私がまさにそれ、だったことに、後から気づきまして汗
言いたいことが全部言えなかった感が残っていて、あとから「これも話したかったな」「あの話もしてないな」「なんで遠慮しちゃったんだろう?」と、なんだかモヤモヤしてしています。
そこで、あの「遠慮」は、なんだったんだろう?どこからきたんだろう?と、振り返る時間を作ってみました。
自然と「フタ」をしてしまう
いろいろと振り返っていくと、「あ、あの話したいな」と思って、その直後に「あ、これはやめておこう」とそのセリフを「飲み込んでいた」ことに気がつきました。
そんな「飲み込んでしまったセリフ」が、いくつかあることも思い出しました。
なぜ、言えなかったんだろう?
その場では「言おう」と思ったのに。
いろいろと振り返っていきますと、それは「今」に始まったことではなく、小さい頃からそんなことだらけだったような気がしてきました。
言いたいことがあまり言えない子ども時代でしたので…
小さい頃も、「言いたいことがある」と思った瞬間に「これは言わない」、と、言いたいセリフを思った直後にそのセリフにフタをしていました。
この時からのクセが、今になっても出てきているのかも?
それも、無意識なんですよね。今、こうして思い返すと、はっきりと「フタをした自分」のことも思い出せるのに、
その場にいた「私」は、無意識に、それも瞬時に「フタをしている」んです。
こんなにも簡単にフタを閉められる自分が、今思うと不思議なくらいです。
日本人は「アイ・メッセージ」を使わない
もう1つ、フタをしたこと以外にも理由がありました。
言いたいことが言えなかった消化不良な感覚の中に、「このことは伝えられたけど全部言えなかった」と思うセリフもありました。
実はこの「全部伝えてない」部分に、消化不良な感覚が強く残っていたんです。
何が「全部」だったのかと振り返ってみたら、それは「アイ・メッセージ」で伝えていなかったということに気づきました。
「アイ・メッセージ」とは、臨床心理士のトマス・ゴードン(Thomas Gordon)によって提唱された手法だそうです。
相手に配慮しつつ自分の気持ちや考えを伝えるコミュニケーションの手法を、心理学ではアサーティブコミュニケーションといいます。アイメッセージ(I message)はアサーティブコミュニケーションの1種で、「I=私は(が)」を主語にして相手に自分の意思や要望を伝えるテクニックです。
これ、できてなかったなと思いました。「私は、こう思います」「私は、こう感じてるんです」
「主語」が省略できてしまう日本語、だからこそ、「私は」とあえて伝えた方が伝わることもたくさんあっただろうなと思います。
この時の「アイ・メッセージ」は、「私が、私が」となる、いわゆる「自己顕示欲の強い人」という意味での「私が」ではありません。
アサーション・トレーニングを学んでいた時にも、「人は誰でもアサーティブになる権利がある」という、人権としての「アサーティブがある」ことを知りました。
私たちが人と関わる中で「断りにくいな」と思って遠慮したりした時にも、「私たちには断っていい権利がある」ということ。
これ、多くの人ができていなかったり、あるいは知らないという人も多い気がします。
「断りたい時には断っていい」。「伝えたいことは伝えていい」。
これは、人権なんだということ。
私もちょっと、忘れてしまっていましたね。苦笑。
なぜ日本人は「アイ・メッセージ」を使わないのか
なぜ日本人は「アイ・メッセージ」を使わないのでしょう。
それは、日本語の構造(主語省略文化)にも理由がありそうです。
「(私は)午前中に予定があるから少し遅れるね」
「(私は)食べてきたから夕飯はいらないよ」
「(私が)この書類片付けておくね」
というような感じで、上記の「私」は、すべてなくても意味が伝わってしまいますね。
その他にも、集団調和を重んじる文化だったり、先ほども書いた自己顕示欲「自己主張=わがまま」という誤解、子どもの頃からの“空気を読む教育”、「相手を優先することが美徳」という価値観が日本人にはありそうです。
アサーティブに伝えるということ
今後も、いろいろな場面で人と関わる機会も増えてくることと思います。
私たちの親世代が子育てをしていた時代と違い、今はさまざまな多様性であったり、常識であったり、塗り替えられてきています。
しかしながら、人との関わりというのはきっとずっと続くもので、人は人と関わらずに生活はできないもの。ですので、「アサーティブに伝えること」を、改めて思い出しながら、人と関わっていきたいと思いました。
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